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【レビュー】周防パトラ1stアルバム『あいあむなんばーわん!』悪魔の女王が叩きつけたVtuberアーティスト像の再定義

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Vtuberである周防パトラの1stアルバム『あいあむなんばーわん!』が8/10、パトラの日である彼女の誕生日に発売された。発売から6日経過したが未だiTunesエレクトロニック部門1位をキープしている今作は、作詞や歌唱だけでなく、全てが本人作曲/編曲というVtuber界で類稀な才能を存分に発揮したアルバムになったと言えよう。

  

 

 

 Kawaiiとビターの両立

『あいあむなんばーわん!』は周防パトラがデビューした2018年7月から現在までに制作した楽曲が網羅されたアルバムになっている。今作の驚くべきところは多数あるが、まず一つ目に既存楽曲の殆どが再編集および歌い直されている事だ。2年間のVtuber活動によって得た数々の機材と、常日頃からDTM/作曲技術を磨き続けた結果、純粋なサウンドのクオリティアップ、制作意図が新たなボイスワークによって明確化した。収録されている中で最もスローで情緒的な『レインボーバルーン』は、生き続けなくてはいけないことを、一度空に放たれれば萎むまで浮かび続けることしか出来ない風船に例えた彼女らしいポップなバラードだ。歌い直されたことによってアンニュイな魅力が更に追加されている。可愛らしい歌詞の中に『夕闇に誰かを落とすカラスを見たら/この旅だけは守りたいと思うでしょう』という業界への毒を詰めているのが彼女らしい。

そして今作は、全曲本人出演のMVが製作されている。これにより彼女の一筋縄でない悪魔的な面が見える作詞に映像からの情報が肉付けされ、さらにメッセージのコントラストが上がっている。

 

例えば代表曲である『ぶいちゅっばの歌』はバーチャルと現実の接続性/非接続性の儚さを歌った内容であるが、今回我々に提示された同曲のMVは、ピンクに染まった浅瀬の海のみのバーチャル空間に1人取り残された周防パトラが、我々に何かを切に訴えかけるような内容になっている。特筆すべきは2010年代初頭に大流行し、現在でもLo-Fi Hiphop等に強い影響を残すVaporwaveを彷彿とさせる映像処理で、それによって未来的だったはずのVtuber自体の思想が「すでに失われた」かのような強烈な錯覚を想起させる。Vaporwave自体もすでに失われた80年代音楽を執拗に反復することによって空虚な現実を批判したり、無意味な事象に対する美学を表してきた。

もし、彼女にこういったVaporwaveの意図が含まれているとすれば、ー少し強引ではあるがーこの『ぶいちゅっばの歌』はVtuber業界の痛烈な批判が含まれているということになるだろう。一見無限であるようなインターネットの海で、利権と私欲にまみれた生身の人間たちがVtuberたちを次々に無かったことにしてきた事は少しでもこの業界に触れていればわかるだろう。ただ、希望に満ち溢れていたはずがいつの間にか有から無を生み出すような世界になってしまっているとしても、時折MVで見せるブラウン管テレビで我々が周防パトラを受信しているような演出は、Vtuberの世界が衰退した後どんなに時代が過ぎ去っても、私だけはいつまでも残り続けるという希望のメッセージであると信じている。

 

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『ぶいちゅっばの歌』MVより

以前にシングルカットされリリースされている『シュガーホリック』は、トラックは周防パトラ得意のKawaii Future Bassでありながらも『バカにされた世界で』『誰かが壊したガラクタのおもちゃ/それも私には大切なものなの』等ビターな内容が話題になった楽曲だが、MVは彼女の武器である可愛らしさやポップさを最大限引き出すものに仕上がっている。「ワンちゃん」であるリスナーを引き連れてキュートに行進していく悪魔の女王は、『バカにされた世界』、つまり彼女が大好きなギャルゲー/エロゲーの世界で『I LOVE YOU 意味を知って』愛することを学び、『同じ時代に生きて/居ていい理由もらえた』ギャルゲー/エロゲーのヒロインたちとVtuberの肉体を持ったおかげで同じ次元に生まれることが出来て、尚且つリスナーたちワンちゃんとも画面の向こうであたかも自分がヒロインであるかのように出会えることが喜びを前面に打ち出している。画面はいつも甘いお菓子で囲まれて、シュガーホリックな事はわかっているけどやめられない様がありありと現れていて、そんな世界を『君と歩きたいよ』というワガママな女王様だけど一度惚れてしまえば最後、地の底まで付いていってしまう我々リスナーをうまく表現している内容だ。

 

他にも『ラムネ色クレーター』『レインボーバルーン』にも、周防パトラが愛する学園ものギャルゲー/エロゲーのような学生生活の儚さや切なさを加味した内容のMVに仕上がっており、さらに楽曲のコントラストが濃く表現された内容になっている。

 

 

『歌ってみた』外からの挑戦

ここでさらに『あいあむなんばーわん!』を語るには、今一度周防パトラのVtuber界における特異性を紹介しておかねばならないだろう。

 

Youtubeで『Vtuber/歌ってみた』を検索すると膨大な楽曲がヒットする。『歌ってみた』は元々ニコニコ動画で公式が正式採用したタグで、Vtuber前に3Dモデルとしての肉体がある元祖バーチャルアイドルである初音ミクの認知度に大いに貢献したことはお分かりであろう。バーチャルの歌姫である彼女の歌声に憧れ、触れることの出来ないはずのバーチャルリアリティに少しでも近づこうとした人間達の手段の一つが歌ってみたであった。もちろん、上記のような小難しい行動原理なくとも、様々な青年期を過ごした男女たちが初音ミク曲の歌ってみたをアップロードしていたことは事実だ。そして時は経ち彼らは大人になり、技術革新が起きて容易にヴァーチャルの肉体を現実に持つことが可能になった。そうした人々が現在のVtuber界の側面を担っているのは間違いないだろう。その証拠に多くのVtuberが初音ミク楽曲や、ボカロP、その文脈を持つ次世代アーティストの歌ってみた動画をアップロードしているし、配信で『歌枠』を取って歌唱を披露することも多いからだ。

ところが周防パトラ本人は『歌ってみた』文化とは距離を置いているように見える。ごく僅かにアニメソング等の歌ってみた動画をアップロードしているのみで、あとはほとんどが自作曲だ。おそらく、これは彼女が自身の声にコンプレックスを感じているからではないだろうか。現に周防パトラはデビューから幾度となく声にコンプレックスを抱いていることを配信にてリスナーに告白している。歌うことだけではなく、声を使って他者とのコミュニケーションを取ることにも恐怖があるという、かなり強烈なコンプレックス。それ故に誰かの褌を借りなくてはならない『歌ってみた』には恐怖心があったのではないだろうか。確かに周防パトラの声は所謂『アニメ声』に多くの人がざっくばらんに分類するであろう。ただ、そのコンプレックスを自身で作曲したものに歌を乗せるという事によって克服したのだと思う。自分が一番良く知っている自分の歌声に合うとびっきりCuteなトラックを作成して。『あいあむなんばーわん!』というタイトルからは、そんな自身の努力によってコンプレックスを克服した』周防パトラの周防パトラによる周防パトラのアルバム』だ、という自信が見え隠れする。

 

 

ヴァーチャルとしての有り様を再定義する

世界一有名なVtuberといえばキズナアイであることは自明の理であろう。いち早くバーチャルアーティストとして活躍し大成した第一人者であるが、彼女は今流行りの『ライバー』系Vtuberとは一線を画している。キズナアイは自身を『スーパーAI』として定義し、『世界のみんなとつながりたい。』という目標を掲げている。その有り様はまさしくバーチャルアーティストの神として世界中を熱狂の渦に巻き込んだ『初音ミク』の具現化であるといえよう。

ただし、キズナアイが現世に降臨した後に大きく勢力を伸ばしたのは、ヒトがバーチャルの肉体を得た『ライバー』系Vtuberグループ『にじさんじ』や『ホロライブ』だった。その最中に周防パトラが所属するグループ『ハニーストラップ』もデビューすることになる。Vtuberとしての『有り様』が先か、『入れ物』が先か。今のVtuberにおけるメインストリームはリアリティーショーだと風刺するブログをご覧になった方も多くいるだろう。キズナアイに夢見た人々が現在のVtuberに感じている違和感。ロールプレイ自体を否定するVtuberもいる。突如表れた彗星のような希望、見たことのない未来を生み出す存在であったはずのVtuber今や有限の資材を喰らい続け無を生み出していると言っても過言ではないかもしれない。

そんな今を取り巻く『ポスト・Vtuber・トゥルース』*1の中で『あいあむなんばーわん!』は産み落とされた。私の中で周防パトラは『ポスト・Vtuberトゥルース』における希望の光であると考えている。それは、彼女が根っからの『オタク』だからだ。ギャルゲー/エロゲー-今のオタク達がほとんど話すことの出来ない古の言語の一つである-を愛し、救いがたくどうしようもない現実世界の薄暗い部屋の中で、けして手が届くはずのなかった美しく希望に満ちた画面の向こうを夢見た彼女は、その夢見た画面の向こうにVtuberという器でもって2次元に顕現した。バーチャルと現実の狭間の尊さを深淵まで理解している彼女こそ、虚構を愛し続けている我々が信用し得る一条の希望ではないだろうか。シスター・プリンセスVtuber化プロジェクトによって生まれた『Vtuber可憐と共演した彼女の喜びようから滲み出るオタク像は、その信頼を勝ち取るに値するはずだ。

そんな彼女が生み出した楽曲たちは、どれもが『画面の向こう』を強く意識した楽曲に仕上がっている。先程も取り上げた『ぶいちゅっばの歌』が最も顕著にバーチャルアーティスト象を反映している。MVは画面内に大きな枠を配してモニターの存在を定義し、画面の向こうをデジタルや0と1の数列に例え、Vtuberと現実との乖離を表現する。但し、Vtuberは現実と交信することが可能であることも示した上で、単なる空想でない上に、永遠性を確保していることも表明する。これはどれもVtuberが本来持っているはずの物だった。多くのVtuberが失っていったアイデンティティを、周防パトラは『ぶいちゅっばの歌』で再定義した。それにはバーチャルが関わってきた数えきれないほど膨大なコンテンツに対する理解、そして深い愛を備えている彼女だからこそ出来ることだった。

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『ぶいちゅっばの歌』から 『枠』を配置して画面の向こう側を強く意識させる

楽家としての側面

デビュー配信から自作曲を準備したり、他Vtuberに多数の楽曲/編曲/Mixを提供して 「DTMが出来るVtuberを売りにしてきた彼女のサウンドディレクションにも注目していきたい。初音ミクP(その時は鳴かず飛ばずだったそう)であったり、Kawii Future Bassのボーカリストだった過去の経験を元に制作された楽曲たちは、一朝一夕では到達できない卓越した技術によって自身の特徴的なボーカルと合わさり、高い完成度を誇るポップスに到達している。元よりクラブミュージックの文脈において音楽に関わってきた為にキックやサブベース等のボトムがしっかりしていることや、携わってきた音楽ジャンルの影響を感じることが出来るだろう。『センチメンタルネットワーク』はDubstep/Brostepの影響を色濃く反映していることが窺える。シンセからCyberな印象を強く意識付け、ドロップにはMassiveよろしく(少しばかり懐かしい空気を感じるが)なワブルベース、そのボトムを支える重厚なサブベースが配されている。『一目惚れパラドックス』からはBPM105〜110のスローなテンポやアタック感の強い特徴的なスネアにGlitch Hopの影響を色濃く感じることが出来るだろう。それらの技術は周防パトラ自身が大好きである電波系ソングにもきっちり反映されている。電波ソングというと耳に痛いような楽曲も世の中には多数あるが、『かにプのうた』や『あいあむなんばーわんパトラちゃん様』は楽曲の構成自体は電波ソングでも、ボーカル以外のトラック処理が極限までコンプレッションされた丸い音像になっているのは特徴の一つだ。これは周防パトラの武器であるASMRにおける音質への執拗なこだわりからも感じ取ることができる。作曲における楽器一つ一つの音にこだわり抜いた結果であると言えよう。

 

 

Vtuber初のポップ・ミュージックアルバム

Vtuber史上初と言っていいであろうポップミュージック・アルバム『あいあむなんばーわん!』は周防パトラのリスナーである我々の想像ですら遥かに上回る完成度で産声を上げた。Vtuberという本来の生業だけでなく(それも本人は異常なほどの配信中毒だ)、自身のグループでありリーダーであるハニーストラップや774inc.を背負うほどの人気を持った周防パトラが、さまざまな障害やメンバーの脱退を乗り越え、自身のフルアルバムをこのクオリティで発売するというのは尋常ではない努力があったはずだ。Vtuberとアーティストの狭間で【あいあむなんばーわん】を追求し続けた彼女の、念願である「自身のフルアルバム発売」という自己実現を称賛せずにはいられない。

このアルバムは周防パトラの世界進出の第一歩だ。かにプ(周防パトラの好物であるカニカマ+プリンという好きと好きを合わせた悪魔の食べ物)がいつの日か大流行して世界を征服するその日を夢見て甘い甘い悪魔の女王は進み続ける。

 

 

 

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*1:ポスト・トゥルースとは客観的な事実より、虚偽であっても個人の感情に訴えるものの方が強い影響力を持つ状況。事実を軽視する社会。『ポスト・Vtuber・トゥルース』とはポスト・トゥルースをもじりVtuberが真実の意から単なる配信形式や入れ物を示す言葉に成り代わったことに対する造語