パナモリカンパニー

オールの代わりにハンドルを

非現実性のクオリア -創作物の現実と非現実の境界- ガールズラジオデイズというコンテンツから考える

garuradi.jp

 

 ガールズ ラジオ デイズ、通称ガルラジ。若手声優達が繰り広げるキャラクターウェブラジオで、以下公式サイトからイントロダクションを引用させていただく。

 

「ガールズ ラジオ デイズ」(ガルラジ)は、地方で暮らすごく普通の女の子たちが、
ふとしたきっかけでラジオ番組を自主運営することになる——。
そんな彼女たちの日常と番組制作に悪戦苦闘する姿を描いた青春物語です。
愛知県・岡崎、静岡県富士川山梨県・双葉、石川県・徳光、三重県・御在所と、
実在する5つの高速道路のサービスエリアが、彼女たちの拠点=スタジオ。
13人5つのチームが、個性豊かに物語を展開していきます。

 

 現在1期とされている全6回のうち2つのチームは5回まで放送されている。公式アプリからいつでもアーカイブが無料で聞くことができる状態にあり、自分は5チームのうち3チームの第4回まで追いついた。

 ガルラジの細かな内容については各自検索して頂き諸先輩方のエントリを漁っていただければ幸いである。

 

 身近な人々がガルラジにハマると何故か筆を執らずにはいられなくなるようで、自分も例外ではなく筆を執ってしまっている。

 

 で、だ。今回は普段見ているアニメや漫画、話題であるvtuberなど、所謂オタクコンテンツと向き合う時に何気なく意識せず感じているであろう

 創作物に対する"現実"と"非現実"の認識と、それによりどのようなコンテンツへの感情を及ぼすのか

 という事に焦点を絞って語ってみたい。

 

※ガルラジについてのネタバレがありますので気にする方はブラウザバック推奨です 

 

 

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1.創作物に対する非現実性の認識

 

 普段、創作物に接する時、どのように現実/非現実を認識するだろうか。基本的にまずジャンル分けとしてフィクション/ノンフィクションという設定がされているはずであるので、その時点でこの作品は本当ではない(非現実)のだな、本当におきたこと(現実)なのだなという目線でスタートするはずだと思われる。

 仮にどんなにリアリティのある作品であっても、フィクションであれば"現実ではありえないんだな"と解釈していくし、どんなにリアリティがなくても(多少の疑いはあり得ることであるが)、ノンフィクションであれば"現実に起きたことなんだな"という理解で物語を読み進めていく。これは誰しもが無意識的に理解していることと仮定して話を進めていきたい。

 

 まとめると

 

フィクション→非現実、内容はすべて嘘

 

ノンフィクション→現実、内容はすべて本当

 

ということになる。

 

 

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2.現実/非現実性による感情への影響

 

 では、私達は物語を受け取る時何を持って感動するのであろうか。例えば大切な人が病気で亡くなる、とか危篤だった人間が奇跡的に助かる、などはよくある感動の人シーンであるとは思うが、フィクションとノンフィクションにおいてこれはどういう構造になっているのかを考えたい。

 ノンフィクションであるならば、もとから全て現実に起こった事だという目線で物語を受け取っている。つまり"現実では起こりえないような奇跡的な=嘘のような出来事"が起きた時に感動する。

 フィクションではどうだろうか。フィクションなのでもとから全て現実では起こりえない事だという目線で物語を享受する。大抵のオタクはこちらであると思うが、どういった時に感動し心が動くか?それは作りものであるキャラクター達が生身の人間のような感情を獲得している時だ。つまり"非現実の世界であたかも現実であるような出来事"が起きた時に感情が揺さぶられる。

 

 簡単にまとめるとこうだ。

 

ノンフィクション→非現実のような出来事が起きると感動する

 

フィクション→現実のような出来事が起きると感動する*1

 

ということになる。

 

 

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3.非現実のクオリア-非現実性へのグラデーションと理解度-

 

 ここからは自分へ踏み込んだ文章になることを了承頂きたい。

 自分はアニメオタクである故、触れる創作物はほとんどフィクションだ。それを踏まえて"非現実でありながら現実的なコンテンツ"*2が好きだ。とても好きだ。

 例をあげよう。けいおん!というアニメがある。

 

www.tbs.co.jp

 

 流石に全く知らないという方はいないと思うので軽くだけ設定を書くとJK5人組が高校の軽音楽部でバンドを組む青春モノで、もちろんフィクションだ。ただし"高校"や"軽音楽部""ギター""亀"は現実にも存在するモノ/コトである。現実にも存在するが、実際には存在していない。地球の裏側にいる人間のようなもので、存在していることは認識できても触れることが出来ない。ギターの質感が画面を通してリアリティのあるものだと感心はするが心の琴線に大きく触れるわけではない*3し、それはそうだと認識出来る"練度"、コンテキストが備えられている(無意識の非現実性認識)。

 では何を持って感動するのか。それはキャラクターたちのリアルな(現実的な)感情への共感であろう。どのような感情によって共感するかは人それぞれであるが、アニメで感動する多くの人たちはキャラクターの感情への共感によって引き起こされているはずである。出会い、友情、恋、別れ…そういった際にキャラクター間で引き起こされる感情への共有/共感によって我々も泣くのである。駅のホームや瓦の道で同じ空を見上げてユニゾンで歌っている時なのである。

 だからこそ、我々はアニメを見る際、セリフや行動にどのような意味があるのかを考察し理解し続けているのであるが、では感情が大きく動かされる時の構造について考えていく。

 アニメを見ている時、我々はフィクション、作り物だと思って見ている。ただし同時にリアリティも求めていて、それの多くはキャラクターの感情に集結される。そして我々各個人の感情と、アニメのキャラクターの感情に何らかの一致が見られた時に共感、もしくは慈愛であったりするかもしれない*4。その"非現実でありながらも現実的なキャラクターの感情への各個人の感じ方"を私は【非現実性のクオリアと呼びたい。

 

ja.wikipedia.org

 

クオリアとはなにか?という話になると長くなるのだが、とても短くまとめると我々個人が”赤”という色を”主観的に"赤色だと感じている質感のことであるので、ここではそのまま質感として捉えてもらって構わない。詳しく知りたい方はwikiを熟読願う。

 つまり【非現実性のクオリアというのは

 

(非現実な)創作物において我々各個人が主観的に感じている現実的な質感 のことと定義する。

 

 【非現実性のクオリア】が存在することによって、我々各個人はアニメに対して様々な印象を受けるのである。同じアニメでも人によって全く別の感想が生まれる事の一つとしての回答と出来る、気がする。

 

 

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4.アニメとVtuber、そしてガールズ ラジオ デイズ

 

 ここまで長々と説明をしてきたのだが、ようやく主題である。アニメ、Vtuber、ガールズ ラジオ デイズを非現実性や定義した【非現実性のクオリア】を使い説明していきたい。

 

 まずアニメ。アニメはまとめるとこうなる。

 

アニメーフィクションー非現実ー現実性に心が動く創作物

 

 アニメは非現実であることがわかっているので、非現実であると捉えた上で現実性を

覗き込むコンテンツ。そして【非現実性のクオリア】があり、個人がそれぞれ心を動かす。ということがわかった。

 

 次はVtuberである。突然出てきたが、VtuberとはYouTuberの2次元版であり、配信者の外見がバーチャルグラフィックスやイラストのキャラクターであることがVtuberである。

 

ja.wikipedia.org

 

 深く掘り下げれば、キャラ付けでAIであるとか、中の人はいないとか、いろいろあるのだが、それはアニメでも同様なので割愛する。Vtuberであれ、YouTuberであれ、どちらも現実なのである。ある意味創作物ではない、生身であると言っていい。

 だが、VtuberとYouTuber大きな違いは、その2次元性であり、アバター的に身につけることによって非現実性を獲得出来るということである。更にはボイスチェンジャーを使い男性でも女性のVtuberになることも可能であり、キモオタでも2次元美少女になることが出来るコンテンツなのである。

 

つまりVtuberとは

 

Vtuberーノンフィクションー現実ー非現実性に心が動く現実

 

 Vtuberは現実であるが、外見を2次元にすることによって非実現性を獲得していて、それがYouTuberが肌に合わない我々のような者たちの心を動かしている、ということになる(少々強引なまとめであるが、このあとのガルラジヘの布石なので許してほしい)。

 

 

 そしてついにガールズ ラジオ デイズ-ガルラジにたどり着いた。なぜその前にアニメとVtuberの定義を行ったのかというと、ガルラジはちょうどその間を縫うような作品であるのではないか?と思っているからである。

 

 

アニメ ー ガールズ ラジオ デイズ ー Vtuber

 

 なぜガルラジが現実でも非現実でもない、中間なポジションに位置すると考えているのか?それにはガルラジに置かれた数々の特殊な環境を説明しなければならない。

 

 

・それぞれのキャラクターは勿論実在しない(非現実)

・それぞれの放送には脚本・台本が存在する(非現実)

・5つの放送局は実際には存在しない(非現実)

・放送の形式は殆ど生放送に近い質感を持っている(ほぼ現実)

・実際に我々の送った手紙が放送で読まれている(現実)

・5つの放送局があるSA・PAは実在する(現実)

・番組の途中に実際のNEXCO中日本の宣伝が流れる(藤田さん)(現実にいる人)

手取川海瑠(てどりかわみる)の週末ラジオの現実感が異常(非現実)

 

 

 等々あるのだが、見てもらえば分かる通り非現実の物語内に現実を織り込む構成になっている為、今まで無意識的に感じていたフィクションをフィクションとして受け取る思考回路が混乱してしまう。勿論やっていることはフィクションだとわかってはいるのだが、巧みな構成と実際の放送における軽い事故、言葉を噛んだり笑ったり台本にアドリブを入れていたりするイレギュラーな事象が盛り込まれており、現実/非現実の境界を非常に曖昧にしている為、脳がどちらかの判断を放棄してしまう奇妙な感覚に襲われる。

 それでも例えば主人公チームであるチーム岡崎のこちらオカジョ放送局などは台本然としていてわかりやすくフィクションだと受け取りやすいのだが、前述した手取川海瑠がパーソナリティを務めるラジオが非常にラジオなのだ。まさしくラジオとしか言いようのない相槌や独り言等声優さんの総力を結集して緻密に(なのかノリでうまく行っているかはわからないのだが)作られていて本当に生放送のラジオを聞いているような錯覚に陥る。

 それで散々定義付けをしてきたのだが、このガルラジに至っては正直定義付けが出来なかった。とにかく現実と非現実の境界が曖昧なのである。そして同時にこのコンテンツの魅力はまさしくそこにあるのではないかと思っている。

 結局、正解を見つけるにはガルラジを見届けるしか無いので、曖昧な感覚旅行を続けていこうと思う。君はどうする?入り口はすぐそこにある、まだ誰も体感したことのない世界へ踏み出すかは君次第だ。

 

 

livedoor.hatenadiary.com

 

 

勝手ながら引用させていただきました。 

 

*1:勿論心理状態が変化する出来事はこれだけしかないというわけではない

*2:2018年で言えば宇宙よりも遠い場所

*3:そういう作品も存在しないわけではない。ヤマノススメ セカンドシーズン 第13話 不思議なホタルの物語、など

*4:2018年現在で言う尊い